昨日8月15日は、終戦記念日。
72年前の8時に国民放送で天皇陛下の声がラヂオから流れ、日本国民が一つの時代が終ったことを理解した。
太平洋戦争では、日本の方々、欧米、アジア諸国の亡くなられた総計が、700万人とも1000万人とも言われている。
どんな尺度で測っても、この数字は甚大と言わざるをえない。

世界経済が30年とも40年とも言われた立ち遅れは、今ではその面影が無いほど、発展を振興を遂げたが、やはりその代償は今も深く残っている。
中国とは、それこそ一色即発的な緊迫した外交、韓国や、北ともやはりカオスな状況は変わらない。

今地球の裏側ではオリンピックが開催されているが、スポーツは戦争ではない筈。だが英国とアルゼンチンとの戦いでは怒号が飛び交う!
マリーとデルポトロ戦でも熱狂的なファンを役員スタッフがなだめる始末。
卓球のシングル戦でも中国の選手は、あからさまに日本だけには負ける訳にはいきませんから!と国際映像ではっきりと言う。

戦争はそれ程、人を国を狂わす。
内部紛争も国間の戦争でも、被害の差こそあれやはり狂っている。

日本は終戦前の2~3年間で、20代そこそこの若い兵士が島に送り込まれた。
生きていたら92歳になる筈の叔父は、最後に舞鶴を経つ時に母が渡した手作りのお菓子を下を向きながら噛みしめるように一口一口食べた。出兵の時に涙は見せれない。
叔父は絞り出すように、お国の為に、、、、と言うのが精一杯だった。
そんな叔父が変わり果てた姿で東舞鶴の駅に帰ってきたのが、1年後だった。
母はそれでも10年間程は、いつか帰って来るかもしれない。と部屋も服も用意していた。
齢86歳になる母の心には今も元気だった叔父の姿が焼き付いており、そんな叔父を奪った戦争のドラマや、映画は二度と見たくない。と今も見ようとしない。

そんな叔父が眠る墓地に立って、辺りを見渡せば、そこかしこに陸軍少尉、海軍少佐、等の文字が墓碑のあちこちに見られる。
今現在平和な世の中を感謝すべきだと思う。
恒久な平和。は広島の原爆ドームのモニュメントに毅然と掘り込まれた言葉。
8月15日が来るたびに切に願わずにはいられません。

16/08/15 10:16:17

この記事を書いた人

橋 豊
橋 豊Yutaka Hashi
現店舗に移転をしてからは、あまり流行だけを追わずに、お客様の良さを引き出す事に集中しています。